映画を観に行こうとするとき、メガネは壊れやすい

 一昨日に右耳側の「つる」の根元の螺子が壊れ・用務先近くのメガネストアーに駆け込んで交換して貰ったばかりだが、昨日は左耳側の螺子が壊れ・再度メガネストアーで交換して貰った。
 そんなに年季の入ったメガネではなし、ただ1日の差で相次いで左右の両方の螺子が壊れるのは、ある時期になったら壊れるべくして壊れるような部品を使った安物であったか?さもなくば製法か輸送法か何か客に渡す前に取り扱いを誤った不良品であったか?受け取った後の客の方が(一昨日までのある時点で)取り扱いを誤って壊したのが、一昨日・昨日になって認識されたのだ。
 メガネの螺子が壊れた(と認識された)ことが左右とも相次いだことの意味付けはそんな感じだが、今回左耳側の螺子は棒の途中で折れてつるから外れたため・外れずに残った側を外すには手間と特別な工具が必要で、すぐには治せないのではないかと心配に思いながらメガネストアーに行った。
 昼休みの限られた時間で訪店したこと、修理のためにお店にメガネを預けたら午後からは仕事にならないことから、短時間で治せない場合はテープか何かを巻いて2〜3日保つように応急処置…と考えていた。
 店員さんも最初は「お預かりしてメーカーで修理」と言っていたが、こちらの窮状を察して「5分も時間はありませんか?」「5分なら何とか」の会話の末お店にあった設備と工具とで工夫してやり遂げてくれた。(店舗のバックヤードの様子は客からは見えないお店の造りになっているので、詳細不明なのが残念)
 メガネを預けるのに気が乗らない理由には午後からの仕事のこと以上に、週末の映画を予備系のメガネで観るのは嫌と言うことがあった。この週末にプリキュアの映画が封切りになる。
 思い返すとキチョーは、メガネに不自由な状況で映画を観に行くと言う体験が非常に多かったのではないか?
 こう言い意味づけをするのはオカルトに属する「ジンクス」と言うキーワード捉えられる内容だ。
 シンクロニシティの中でも個人的な事柄で時間的にも空間的にも発生の時点から隔たりなく当人の認識に上がるようなシンクロニシティを言い、シンクロした事柄に因果関係があるかのように感じられて、占術のように当人(たち)の行動を左右する意思決定材料にもなるような経験が特に、ジンクスの語彙に当てはまる。「タバコの封を綺麗に切れなかった翌日は絆創膏を持って行く」とか、そんな奴。
 キチョーのメガネは、映画を観に行こうとすると壊れやすい。