Go!プリンセスプリキュア まちがいさがしブック (たの幼テレビデラックス353)

 例年よりも難易度が上がっている気がする。もっと簡単なほうが大人には退屈なトコロがかえって良い(まちがい探しを楽しむ要素をそぎ落として、純粋に好きな絵柄を楽しむのが良い)と思うのだが。
 「まちがいさがし」としては、4択の中から正しいものを1つ選べと言う趣旨の出題はちょっと違うと思うが、そんな趣旨の出題の1つの97問めの内容が秀逸でじわじわ来て吹いた。
 ネタバレを書く訳にもいかないので、気になる人は現物を手に取って確かめて欲しい。

資本論(2)

 読んだ本の感想くらい書いておきたいと書いた去年の12/10〜昨日5/18にかけて、ようやく無理矢理読み切った。目を通した。面倒臭いを通り越して苦痛だった。
 会社でこの本に関する勉強会を催すことにしてな、その準備のため就業時間の一部として読み切った。
 これの勉強会をするのに、元の書物と自分の頭に入っている内容からだけでは、とても2ヶ月弱でレジュメは作れない。要約や用語集を求めてググって、好みに合う要約をWikipediaに見つけた。⇒資本論 - Wikipedia
 読んだ現物の本は会社に書いて来たが、表題のISBNの表記(ハイフンの入り具合など)はAmazonページからコピペで実際の印刷物と異なる。覚えていたらいずれ記事のタイトルのISBNのトコロを修正する。(2015.05/20修正済み)

読んだ本

資本論 2 (岩波文庫 白 125-2)

資本論 2 (岩波文庫 白 125-2)

止むを得ず注文する続巻

資本論 3 (岩波文庫 白 125-3)

資本論 3 (岩波文庫 白 125-3)

資本論 1

 10/21に読み始めたが、仮にも1日持ち歩いて序文を読み終えないと言う、とても面倒くさい本。

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

 届いた初日は10/8(水)だったと思うが、その時点で薄い文庫本ではあるが「イマドキ珍しいくらい小さい活字」と「物理的な行間が極端に少ない文字の密度」に驚いたと言う「感想」を持った。
 この岩波文庫版は全9冊であるが、書評本によると読もうとした読者の大半が第1巻の最初の100ページを読めずに挫折すると言う。「第一版の序文(マルクス)」から「第四版に(エンゲルス)」まででざっと60ページを超えているが、ここまでで分かったことはこれから読もうとしている本文(の原文)が書かれた時代背景がそれを書くには面倒くさい状況だったらしいと言うこと。
 その時代背景がこれを著す原動力だったのは間違いないだろうし、これはこれでその時代にしか生み出せないものだったのだろうと思うけれども、「資本論」と言うタイトルから想像していたキチョーが読みたかったものとはだいぶ異なるもののようだ。
 マルクスさんに現代の日本に来て頂いて、当時のヨーロッパに比べたら思想信条や表現の自由が保障されている環境で落ち着いて「資本論」を書いて貰ったら、それを本当はキチョーは読みたいのではないか…と思った。

資本論 (まんがで読破)

 これは流石に薄っぺら過ぎた。昨日、お昼前に届いて・昼食後の1時間ほどで読んでしまったから、本当に薄くて物足りない。…と言ってちゃんとしたのはボリュームもありそうだしなぁ。

資本論 (まんがで読破)

資本論 (まんがで読破)

「サバを読む」の「サバ」の正体: NHK 気になることば

 最後のほう10数ページは比較的苦痛なく読めた。
 木曜日に読み終えたと記憶しているが、JRでの移動中だった覚えなので多分佐江戸から横浜支店に向かう電車内。
 正直に言うと読むのが苦痛だった。話し言葉が活字で印刷されているのを、読まされていると実感する苦痛。「読み始めたものは最後まで読む」と言うルールは母から教わった読書に関する重要なメソッドだと思っているが、破戒しようかと何度も自問しながら字面を追った。
 前にちょっと書いたが、1冊前に読んでいた本が「当たり」だった。この「当たり」の直後には特に厳しかったかも。
 最後のほうに苦痛が薄れたのは読み方に慣れたからなのかも。耐性が養われたとも、受容体が出来たとも言えるかも。いずれににせよ、読書によって少しでもヒトは変わる。変えさせられる。

「サバを読む」の「サバ」の正体: NHK 気になることば (新潮文庫)

「サバを読む」の「サバ」の正体: NHK 気になることば (新潮文庫)

怖くて不思議なスピリチュアル怪談

 一昨日会社を休んだ日に読んでしまったもの。確か近所のスーパーのどれかでレジ近くにある棚から表紙買いしたもの。
 どぎついものは1つもなかったけれども、1人で家にいたので軽くトイレに行くのが怖くなったりした。オチがついていない、途中で描かれた現象の所以が説明されないお話こそ怖いなぁ…と感じた。

怖くて不思議な スピリチュアル怪談

怖くて不思議な スピリチュアル怪談

 順当に言えば来月に読む分だったような気もするが、来月読む用は今買いました。Amazonが確定しましたページからのツイートを久し振りに試してみて「 #アマゾンポチ 」のくだりを最近よく見かける理由が分かった。その部分をカットしてからツイートするか迷ったが、結局ctrl+zしてからツイートした。

修羅場の極意

 火曜日に読み始めて足かけ4日、金曜日に読み終えたのは、途中途中に抱いた感想に反して読み物としては面白かったからなのだと思う。
 ほぼ全く人物を知らないマサルさんの著書だが、ご本人の写真と思われる表紙その他に感じるところがあってジャケ買いした2冊の1つ。
 キチョー自身が普段思い考えていることに近しいことが書いてあるので、結局は毒にも薬にもならないと言う意味で読むべきではない(読んでも時間が勿体ない、抵抗なく読める内容で心地よさ安心感を得たいほど弱ってないぜ俺は)本だと、半分も読まないうちに気がついた。
 特筆するべきは筆者自身の考えを筆者自身の言葉できちんと説明したテストは全体の一割もない、他者文献紹介本であること。こんなのでも文筆を生業にした体に出来るなら、そうなりたい…と気軽には思った。
[以下、同書の「はじめに」から引用]

…外務省はまさに修羅場となった。そして、北方領土交渉で鈴木氏と盟友関係にあった筆者も修羅場に引きずり出されることになった。

[引用終わり]
 ごく最初に書いてあったこの文章に引っかかった。これを書いたマサルさんの日本語使いとしての資質が足りなくてそれらしい文章を綴って推敲が不充分なだけと言うことでなければ、サマルさんの世界観では修羅場でない安全な世界はどこかの狭い「内」にしかなくて「外」はみんな修羅場だと思っているのだ。キチョーなら「引きずり込まれる」と綴ったところだろう。
 その経験に限って「引きずり出された」と感じたとか、その経験をきっかけに世界観が変わったのであれば、「引きずり込まれるではない、引きずり出されたのだ」などと強調するところ…。
 一応最後まで読んで・この人はちゃんとした職業文筆家の域の日本語使いではありそうだと思うのでつまり、マサルさんにとっては本当に当たり前に外はみんな修羅場だと言うことらしい。