修羅場の極意

 火曜日に読み始めて足かけ4日、金曜日に読み終えたのは、途中途中に抱いた感想に反して読み物としては面白かったからなのだと思う。
 ほぼ全く人物を知らないマサルさんの著書だが、ご本人の写真と思われる表紙その他に感じるところがあってジャケ買いした2冊の1つ。
 キチョー自身が普段思い考えていることに近しいことが書いてあるので、結局は毒にも薬にもならないと言う意味で読むべきではない(読んでも時間が勿体ない、抵抗なく読める内容で心地よさ安心感を得たいほど弱ってないぜ俺は)本だと、半分も読まないうちに気がついた。
 特筆するべきは筆者自身の考えを筆者自身の言葉できちんと説明したテストは全体の一割もない、他者文献紹介本であること。こんなのでも文筆を生業にした体に出来るなら、そうなりたい…と気軽には思った。
[以下、同書の「はじめに」から引用]

…外務省はまさに修羅場となった。そして、北方領土交渉で鈴木氏と盟友関係にあった筆者も修羅場に引きずり出されることになった。

[引用終わり]
 ごく最初に書いてあったこの文章に引っかかった。これを書いたマサルさんの日本語使いとしての資質が足りなくてそれらしい文章を綴って推敲が不充分なだけと言うことでなければ、サマルさんの世界観では修羅場でない安全な世界はどこかの狭い「内」にしかなくて「外」はみんな修羅場だと思っているのだ。キチョーなら「引きずり込まれる」と綴ったところだろう。
 その経験に限って「引きずり出された」と感じたとか、その経験をきっかけに世界観が変わったのであれば、「引きずり込まれるではない、引きずり出されたのだ」などと強調するところ…。
 一応最後まで読んで・この人はちゃんとした職業文筆家の域の日本語使いではありそうだと思うのでつまり、マサルさんにとっては本当に当たり前に外はみんな修羅場だと言うことらしい。