先週のドキプリ(question:1384637192、question:1382522544)

 「ドキドキ!プリキュア」第40話はオンエアで観ることは出来なかったが、5〜6回はスキップせずに観た。こんなに観たのは久し振りだろう。プリキュアシリーズで一番好きな回、心に残ってる回はなんですか?と言う質問が「1人5回まで」設定だったので、ベスト5を回答しようかと思ったものの気力と時間がなくて旬を逃したが、好きな回ベスト5には入ったのではないだろうか。
 良かった点は全部だが、気に入らない・腑に落ちないと思った点は主に3つ。繰り返し観るうちに、解消されて行く。

新曲発表会会場でレジーナに呼び止められたキュアソードの「レジーナ?」の言い回し

 変身して戦闘する気分に切り替わっているとは言え、歌を聞かせたいと思っていた相手に呼び止められたら「驚きと喜びが混じった感情を載せるべきではないか」と思ったのが第一印象。その台詞は仇敵に出会ったときの節回しに聞こえた。

折角の名曲なのにOP/EDのいずれにも「挿入歌」のスーパー表記がない

 両腕を拘束されてからの変身解除、唄いながらレジーナに歩み寄り且つ変身と同時に槍を受け止めるキュアソードにはシビれた。劇中歌として綺麗に物語に溶け込んだこの剣崎真琴のお歌のCDが欲しいのに、挿入歌が収録されたアルバムの名前が判らない。普通はEDかOPにスーパーを載せる筈だ。商売やる気があるのか?と思った。

自分の推しキュアさんのエースさんに良いとこなし

 今作では何故かキュアエースが突出して好きだが、第40話では他4人と孤立する意見を持ったり、プリキュアらしからぬ消極的なところを見せたり、良いとこなしなのは、個人的には気分が悪い…と当初思った。

キュアソードがこれまでレジーナやキングジコチューに抱いていた心象から言えば、不意に呼ばれたときの反応としては自然

 あの呼び止められ方で「驚きと喜びが混じった」ら、マナ(キュアハート)になってしまう。真琴(キュアソード)の思わずの反応としては、反射的にはレジーナが仇敵なのは急には変えられないと言う芝居(演出)なのだと、2〜3回見るうちに納得がいった。
 その直後の「それは王女様の槍よ、返しなさい」は、トランプ王国の守護にあたるキュアソードとしては実に正しい(芝居として)し、それらの流れから一転して・両腕を拘束され身動きが取れなくなるピンチに陥ってからなお「唄って気持ちを伝えられるかも知れない、伝えてみせる」と気持ちをスイッチするところが、メリハリがあって格好いいのだ。

曲名は劇中で紙に記されている

 「こころをこめて」「剣崎真琴」の2語でググると容易にその商品(アルバム)は見つかる。「ドキドキ!プリキュア キャラクターアルバム~SONGBIRD~」…新譜ではない。5月発売だったものだし、しかも所持しているし、iPod touchにも取り込んでいた。アルバムのほうを今聴き返すと、8曲目のそれ(今回の劇中歌)がアルバム内では一番良い出来だと思う。それをこのタイミング(第40話)で劇中で使うことは多分、精密に計画されたことではなかったのだろうと思う。(せいぜい、有り得る展開の候補の1つ)
 アルバムを作った結果として8曲目のそれの出来が良くて、その他にも色々な・半分くらいだけ必然な理由がたくさん積み重なって今回の痺れる展開になったのだと思う。
 そもそも劇中歌がCDの音源から録られているのではなくて、台詞の一部として歌い直しているのだとは初見から思っていたが、2〜3回聴いても・CDと聴き比べても、1年近くプリキュア声優を続けてプリキュアとしても自覚が出来た宮本佳那子さんがその自覚のもとで歌い直したものは違う…と思っている。(その点の耳が良い訳ではないので自信はないが、きっと歌い直している、と信じたい)
 「こころをこめて」と言う曲名が剣崎真琴の字で紙に記されていたのに気がついたのは、4回か5回目に観たときだ。

キュアエースの活躍

 一見すると今回良いところがなかったようなキュアエースさんだが、何度も繰り返して確認すると、「プリキュアの先輩」「(物語上の)解説役」「(幼女視点での)親しみの湧く憧れの対象」と言った役どころをブレずにこなしている。前々作のアコちゃんよりは、ちょっとした隙に奏や響に子ども扱いされてしまっていたが、キュアエースは第40話に於いてもアコちゃんとは違う。
 変身前の姿かたちが小学生でも、マナたちは亜久里(キュアエース)を子ども扱いしない。特に第40話に於いては、意見の食い違いがあり・結果的に亜久里の意見が間違っている風でも、そこについて不必要に指摘したりしなかった。マナやDBたちが、変身前後を問わず亜久里を自分たちと精神的に対等だとして扱っている態度は良かったと思う。亜久里&のように扱われて育ったら、子供はしっかりした責任感のある人間に育つと思う。
 今回亜久里は「私にはそう見えました」と言い「レジーナにも愛があるのかも知れません」と言ったが、マナは「そうに決まっている」と気楽に応じた。よく考えると(5〜6回観た結果)、亜久里はAパートで言った「レジーナは愛なき存在」を単に訂正したのではなく、ずっと大人な見解に辿り着いているのではないかと思う。気楽に応じたマナを否定はしなかったが、その直前に亜久里が言いたかったことは「彼女に愛があるかどうかは、結局は周りにいる者たちがどう見るかの問題であって、誰も心の中を直接確認することは出来ない」と言うような内容だったのではないか…と思った。

他4人は兎も角、あのときのメンタルでエースさんまで羽化して良かったのか?

 …と最初の3〜4回は思ったが、解説役としての面目躍如で、それが「ラブリーパッドの真の力」だとエースさん自身で解説していた。真の力を発動させたのはキュアソードたちだが、一旦発動したらあのときのメンタルのエースさんまで羽根が生える程のものなのだろう。そんなメンタルだったことを自覚しているエースさんが「ラブリーパッドの真の力」だと感嘆の声を挙げていたのは説得力がある。

2013.11/26追記

 唄いなおしたバージョンで、シングルCDを出して欲しい。
 アニメでキャラに歌を歌わせることについては安易に歓迎しない意見を持っているが、今回のは100点満点。文句なし。prepanさんも同意してくれるのではないかと思う。