友人のfacebook記事

 数時間前の友人のfacebookでの発言で、「インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸」さんの記事への言及があった。その記事の中で良いことは2ページ目に書いてあり、1ページ目だけ見て続きを読まないと毒にも薬にもならない。
 …と言うか、1ページ目には魅力ある文章がなく、友人が言及していた記事でなかったら、キチョーは続きを読まなかったろう。
 そんなところで1ページ目を区切ってしまう「日経産業新聞」Webサイトの編者の能力を疑うか、筆者がページの切れ目をコントロールしているとすればWeb記事を書くのに向いた修練は積んでいないなぁと思う。*1
[以下、引用]

 労働者一人ひとりの限られた時間や能力、情熱を、価値の小さいことに向けさせてそれで良しとする経営者や上司はリーダー失格です。個人が組織の慣習に逆らい、これを改革するのは容易ではありません。重要なのは、個人が自身の「busy work」を自己批判する以上に、仕事をお願いする側の人間が仕事を受ける側の人間を思いやることです。

「働きすぎ」の日本人、無価値な仕事が多すぎる  :日本経済新聞…の2ページ目

[引用終わり]
 キチョーが記事の中で良いトコロと思ったのは引用の箇所で、同じ部分が友人の発言への反響コメントの中でも引用されている。だから、他の人が読んでも友人が読んでも、そこは良いトコロなのだろう。
 キチョーが食いつくポイントは、前述引用か所の1つ前の文章「ムダ以上の害悪でしかないことは本人も周囲も理解しているのに、ただ惰性で継続しようという様式美には理不尽さを感じます。」の部分になる。
[以下、再度引用]

 ムダ以上の害悪でしかないことは本人も周囲も理解しているのに、ただ惰性で継続しようという様式美には理不尽さを感じます。

 労働者一人ひとりの限られた時間や能力、情熱を、価値の小さいことに向けさせてそれで良しとする経営者や上司はリーダー失格です。個人が組織の慣習に逆らい、これを改革するのは容易ではありません。重要なのは、個人が自身の「busy work」を自己批判する以上に、仕事をお願いする側の人間が仕事を受ける側の人間を思いやることです。

「働きすぎ」の日本人、無価値な仕事が多すぎる  :日本経済新聞…の2ページ目

[引用終わり]
 個人が組織の慣習に逆らい、これを改革するのは容易ではないから、大切なのは仕事をお願いする側の人間が仕事を受ける側の人間を思いやることだと言うのは、社長業を営む人の意識の持ち方としては正しい。株主や会社組織・社員全員に向けて全ての観点で絶対的に正しいことではないにしても、人の上に立つ時には自分も似たような心がけをしたいと思う。
 だが労働者は他の労働者の上に立つばかりではない。労働者は社長や上司を含んだ会社を選べる筈だが、実際には選べない。下で働く立場の時に自己批判するではなく、どうするか?
 インテカー社長の言葉のチョイスが素敵なのは、それを必要悪とではなく、様式美と言ったことだ。
 外注しようが効率化しようが、必要なこと・求められることは結局誰かがしないといけない。機械によって為されたよりも・人間労働によって為されたほうが、同一仕事結果が高価値で売れる場合もある。それをする役回りが自分である場合もあるだろう。自己批判しか出来ないなら自身の精神面の健康に悪いばかりだし、会社や上司を改革しようと努力するのは・殆どの場合・実際の仕事が進まなくなる。
 様式美と言う観点での美しいモノゴトを演じて提供することで対価(賃金)を得ているのだと言う認識を持って割り切れば、腹も立たないし、良い仕事をしたければ・求められている美しさに対して熱意を持って取り組むことも出来る。:-)

*1:キチョーの文章も(デフォルトでは)Web記事やツイッター等でのつぶやき向きでない自覚はある。Web記事やつぶやき向きに最適化(推敲)する努力をすることもあるが、慣れないことをするとしくじることが多い。