「ふつうのひと」と言う言い方が指す水準

 移動中で落ち着いた対応は出来ないので、思っていることの断片だけ吐き出しておく。
 今回は漢字の混じり具合と用字には関係なく・音にした時に「ふつうのひと」になる言葉について記す。だが漢字にすると「不通の」になるような皮肉を込めたような捻った用例の話は除く。
 普通の人と気軽に言ったとき(書いたとき)字面から「普通に」考える意味は「平均値レベル」か「大多数(中央値)レベル」の筈だ。
 だがこの言葉を発する立場では、気持ちのある部分では平均値レベル(中央値レベル)だと思ってこの言葉を選びながら、気持ちの別な部分で(この言葉を使った前後のセンテンスで)は「普通はこうであることが望ましい水準」の意味に置き換えるか倒錯して論を進めている場合が少なくない。
 優しい心暖まる例で示すなら「普通は、道に捨てられているゴミを見つけたら、ゴミ箱まで持って行くものよ」と子どもに教える母親の言動と真意だろうか。そこまで考えずに受け応えする母子が大多数だろうけれども、無意識下には次のような思いがあるとキチョーには見える

  • ○○ちゃんはよい子だから当然、よい子に相応しいことをするわね
  • ママが信じるようなよい子の振る舞いをする、私はよい子だから

 キチョーがこの言葉を発する場合は概ね「普通はこうであることが望ましい水準」を念頭にしていることが多い気がするが、「理想的には○○だけれども、普通の子は○○までは出来ないから配慮してあげないと」などと言う文脈で平均値レベル(中央値レベル)を想起している場合もある。
 受け止める立場で「普通の人」の言葉に出会った場合については、気力があれば別記事にする。