ポケウォーカー歩数=11,594(2013.02/01記す)

 自宅⇒菊名⇒(中目黒・六本木経由)⇒赤羽橋⇒父病室⇒赤羽橋⇒(麻布十番・目黒経由)⇒大岡山⇒(カレー)⇒大岡山⇒(田園調布で妹からの電話を受けて引き返す)⇒(目黒・麻布十番経由)⇒赤羽橋⇒父病室⇒実家宿泊。
 朝6:00の目覚ましで・そろそろベッドから出ようかとしている6:10に電話が鳴り、母からなので身構えたら父の容態が急変したと言う。この時点での用件は人工呼吸器をつけて延命するかどうかの判断のため、母・伯母・妹とキチョーの意見を確認…だった。キチョーは最初「つけない」と意見を伝えたが、最終の結論としては人工呼吸器をつけることになった。
 そんな容態では何かあるかも知れないので…と思うのを口実に会社を休むことに決めて、父の入っている病院に急行した。
 血中酸素濃度が足らなくなり、血圧が足らなくなり、そのうち夕方には血糖値までも足らないと言われた。血中酸素濃度は人工呼吸器で補い、血圧は昇圧剤(ドーパミン、多分)を限界の量まで投与して補い、血糖値が以上に低かったときは点滴のチューブにかなり強引な勢いで「砂糖水」を流し込んでいた。そんな処置を、痛がる様子もなくされるがままに受けていた父はずっと意識がなかった。
 お医者様から容態の説明を受けて「今晩中に亡くなるとは思わない」結論で、遠くからの叔父さん、伯母さんも、いとこも、母・伯母・妹とキチョーも一旦帰ることにしたところが、別記事のように引き返すはめになった。一足違いでキチョーは死に目に会えなかったが、母・伯母・妹と叔父さんは間に合ったらしい。
 深夜12:00過ぎに葬儀会社さんとの簡単な打合せを済ませ、父の体躯は葬儀会社さんで預かって貰うことにして病院から送り出し、この日は実家に泊まった。実家のお風呂はお湯の出が良く、これに比べると我が家は欠陥住宅だと以前に記事に書いたかも知れないなぁ…と思った。そんなことをしているうちに就寝は26:00時過ぎだったから、母や妹は確実に寝不足だったと思う。