パチンコが悪いことだとは思わない

 明日から大型連休が明けて、自分は出勤。これにどことなく後ろめたいところを感じても、コロナ前とおりの仕事を求められている内は応じないとイケナイのだと思う。「職業に貴賤はない、その仕事にお金を払うヒトがいるからには誰かに必要とされている仕事なのだ」と言う話にも似ている。
 『コロナが怖いので休暇の日数がある限り休暇にさせてください』『緊急事態宣言の意味に鑑みて(以下同文)』とか言えば、会社も用務先も、表立ってはキチョーの評価を下げたり罰したりしようとせず休みを取らせてくれるかも知れないが、今でも以前どおりの仕事がある人の大多数がそんなことをしたら、経済活動がいよいよ立ち行かなくなってしまう気がする。
 キチョーがいま携わっている開発は、人々の生活基盤を支える欠かせないシステムだとは、正直思えない。不要不急かどうか?個人的な意見を言えと言われたら、社会にとって不要不急だろうとは思う。だが、
 「以前どおりに」あるいは「以前とは違う何らかの形で」仕事を継続することが求められていて・それに応じることが可能な人は、やっぱり仕事を続けなくちゃイケナイのだと思う。通勤電車に乗るだけでも、ちょっと社会の風潮に歯向かっているような気分になるのだが、それを理由に個人個人の考えで仕事を縮小したり・出社に難色を示したら、経済活動がどんどん停まってしまう。個々の仕事内容が社会に必要欠くべからざると言えるかどうかに関わらず、少しでも動かしたお金は、直接的には誰かの役には立っているし、間接的には社会全体の役に立つことになるのだと、思え。
 そう考えたら、休業要請に応じないことを叩かれていたパチンコ屋さんのことも、個々の従業員さんは全く悪いところはないのだと思う。要請に応じないことに決めた経営者さんについても、邪悪だった度合いが100%と言うことは決してないだろうと思う。
 越境してまでパチンコをに興じた客もだいぶ叩かれていたように思うが、悪人ではない。悪人ではない意味は2つある。
 1つはパチンコ屋さんにお金を落としていったことで、及び現地まで移動する過程で経済活動に参加したことは、直接的には誰かの収入源になっているし、間接的には社会全体にほんのちょっぴり役立った。*1
 2つめは、悪人と言うよりは気の毒な人なのだ。依存症なのであれば、気の毒な病人。自宅に居場所がなくて、居場所はパチンコ屋さんと言うのも気の毒ではないか? 精神を病んでもいなくて、居場所がなくての逃避先と言うことでもなくて、極めて健全に趣味の機会を奪われたと言うのであれば、やっぱり気の毒な人と思う。営業しているパチンコ屋さんまで、越境して訪店する心理をブッダ以外の誰が責められるか?
 「健全にパチンコが趣味」の部分を、パチンコよりは高尚な文化だと信じられている○○が好きや趣味は○○の「○○」に当てはめたら、ピンとくるのではないかと思う。
 映画が好きな人には映画館が休業していることは寂しいし、読書が好きな人には本屋や図書館が休業していることが、「映画は悪くないのに」「読書は大切なことなのに」と感じられると思う。映画、読書、ジョギング、ボルタリング、外食、酒席、…、「○○」に何を当てはめても「○○は悪いことではない」と○○好きにはすぐに同意できる論法が、パチンコについても当てはまると思う。
 平時にパチンコが法律によって禁止される訳でもないので、○○に当てはめて多人数に賛同されるような他のナニゴトかと比べて(映画、読書、ジョギング、ボルタリング、外食、酒席、…、と比べて)決定的な違いはないのではないのかなぁ、と思う。

別記事予定

 悪くはなかったとしても、以前どおりにパチンコ屋さんの営業を続けたのは、昨今の情勢の中では(叩かれないでやり過ごすには)失策だったと思う。自宅に居場所のないニーズについては直接ケアできないが、VR技術やリモート技術を介してパチンコをさせると言う方策もあったと思う。
 近日の、コロナ禍記事の別記事で、パチンコ屋さんに限らず、述べたい。

*1:その利益を帳消しにするくらい感染拡大のリスクを高めてしまったか?叩かれた報道が他の人の意識を強化する効果で邪悪さは軽減される?