メールの「iPhoneから送信」について

 ちょっと前の記事だけれども、意外だと思ったので書いておく。キチョーの場合は「iPod touchから送信」になる。
 「iPadから送信」だの「iPhoneから送信」と言う一言は、「このメッセージは、非力で不自由な端末からの送信です。だから多少舌足らずだったり・ぶっらぼうだったりしても大目に見て下さい。パソコンとは違うんです。文字入力もそもそも大変だし、広い画面で文面を推敲することも出来ていません。モバイル環境で電池も心配だし、覗き見も心配で、落ち着いて見直し出来ない事情があるのです」と言うような平身低頭な平謝りの内容を遠まわしに言っているのだと思っていた。
 だから、「iPhoneから送信」と添えられたメッセージをリッチな端末(パソコン)で受信した時には、忙しかったり不自由だったりする事情のある中を工面して・取り急ぎのメッセージを送ってくれたんだな…と解釈するようにしている。
 ところが人によっては、あんな不自由な端末が自慢すべきリッチなものに感じられたりするのだと驚いた。
 又リテラシーが足りていないと「iPadから送信」だの「iPhoneから送信」だのの文面の字面通りの情報しか読み取れず、「だから、こう言う点を慮って欲しい」と言う意図までは思い当たらないのか…とびっくりした。これもう情報リテラシーと言うジャンルじゃなくて、単に母国語の読み書きとか人間同士のコミュニケーションが成立するかと言う意味での学問素養があるかどうかのリテラシーを問うていると思うのだ。
[以下、mixiニュースの「iPhoneから送信」イラつく?と言う記事から引用]

必要ないメッセージなのに読まされているかんじ(29才・女性)
自分はiPhoneで送ってますアピール(30才・男性)
iPhoneが発売されたばかりのころは、最新の機器を使ってる自分をいちいち自慢してくるカンジ悪いメールだった(32才・男性)
メール本文のスペ―スをムダにとるので不快です(33才・女性)
誰も必要としていない情報だし、にもかかわらずそれを表示させてしまうメールの送り手に不信感を覚える(40才・女性)

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&id=3579972

[引用終わり]

iPadから送信」だの「iPhoneから送信」だのをデフォルトで機械が挿入することについて

 これをメールの送り手が手動で入力・挿入しているのではない点で、iOS(或いはそのメールクライアント)の設計者の優秀さを感じる。
 第1に、不自由な端末を使っている認識が出来ていないメッセージの送り手にこそ、ちょっと舌足らずなメッセージを大目に見て貰う必要があるので、デフォルトで挿入してあげる必要があると言うこと。そもそも不自由な道具を使っている認識のある使い手は、それと認識したなりの注意を払うが、それと認識出来ていないユーザーのためには「iPadから送信」だの「iPhoneから送信」だのを自動的に挿入してあげるべきだ(とiOSの設計者は考えたのだろう)。
 これを受信した大多数のユーザーは「iPadから送信」だの「iPhoneから送信」だのを読んでも「ふーん」で終わりだろうけれども、メッセージの意図をよく読む口うるさいようなリテラシーの高い受信者は文末の「iPadから送信」だの「iPhoneから送信」だのからも事情を読み取って適切な何かを慮ることが出来るだろう。
 第2にデフォルトで自動的に挿入される…と言う点は、「慮って貰うのは気が引ける」とか「遠まわしにせよ、慮って欲しいと甘えるのは気が引ける」とか思ってしまう自分に厳しい送信者にも、「デフォルトで自動的なのでうっかり」と言う口実を提供して・ストレスの少ないコミュニケートを促進している…ような気がする。