なぜ、「兜」かと言う、割とクールなページをサビレル君から教わって2記事ほど読んで思う。プリキュアの決め技などの表現も、大の大人が鑑賞するものだと考えると度を越えてバカバカしいのだろうけれども、観るそのヒトにとっての勇ましさの上限に近似する場合に・その作品にはまるのだろうと。
キチョーにとってはハートキャッチプリキュア!が「それ」だった訳だが、20年前から今日まで一貫してキチョーにとっての格好良さの上限がハートキャッチオーケストラやこぶしパンチだった訳ではない。いずれ落ち着いて記事にしたいものだ。
[以下引用]
なぜ「勇ましさ」はある程度を超えると「バカバカしさ」に転じてしまうのだろう。
黒漆塗執金剛杵形兜のこと : なぜ、「兜」か
ともあれ、ブレーキがかからないとは、
犬頭形兜のこと : なぜ、「兜」か
かくも恐ろしいものなのだと思い知らせてくれる兜である。
[引用終わり]