映画グッズの不満 #プリキュアを怖くする

 つむぎちゃんやジークの人形は商品化されなかった。企画の段階で少なくとも案には上がっていないとおかしいが、案外そう言ったおかしな経緯で商品化されなかったかも知れない。映画内容の秘密を守ろうとすると、そんな事態にはなり得る。
 だが今回は映像作品を作った側が「これは傑作だ」と確信が出来ていた筈だ。(当人が確信していても映画がヒットしない結果に終わる場合なんてざらにあるだろうから、他人から評価して貰うまではオイソレとは口に出しづらい)
 口に出しづらいのは分かるし、実際に封切前の映画が傑作であることを他人(ステークホルダ)に商業上の意味で信じて貰うまで説き伏せるのは大変なことだと思う。だがこれだけの傑作の映像作品を作っておいて、映像作品単独が評価されれば自分に損はない程度の心構えでは、子供の夢を食い物にするプロとしては立派ではないと思う。
 映画内容を─仮に人形の型紙を起こす程度に必要な映像の断片であっても─おいそれとリーク出来ない慣例を打ち破る使命があったし、グッズが売れなかったら所属組織が金銭的に困ったことになったり自分の評価を下げることになるリスクを圧してでも、その他にも仕上げなければならない大事な仕事が他にあるのと両立させるのに血を吐くような苦労をしてでも、つむぎちゃんやジークの人形を商品化せしめて映画館のグッズ売り場に並ばせなければならなかったのではないか?
 理想的には、つむぎちゃんやジークだけでなく・つむぎちゃんの側近だった人形は全部商品化して、それぞれ単品で買えるように設定するべきだった。ソファやベッドにいたり、ドール王国で彼女に寄り添っていた人形たちはどれも、一般にモブキャラと呼ばれるレベルを超えてデザインに注力されており、どれも商品化に耐える丁寧さで表情や仕草までデザインされていたと思う。たくさんいたようだけれど、多分10数体くらいが今述べた「側近」になるだろう。キチョーなら、「どの」と説明するのが難しいが・あの怪獣のぬいぐるみが欲しい。単品売りされていれば…の話であって、仮につむぎちゃんとジーク以外は10数体セットで受注生産で3〜4万円くらいの設定だったら、死ぬほど悩んだ末に・今年のキチョーだったら注文していたろう。セット販売のみでも大人の欲望は充足し得るけれども、単品売りで実現出来なければ、子供のために適切な形とは言えないと思うのでハードルはますます高い。
 商品化に耐える丁寧さで人形たちをデザインして映像作品の中で最善を尽くしたところで満足したなら、一流とは言えないだろうと伝えたい。時期を逃したらほぼ絶望的に商品化は難しくなってしまう一方で、映画館のグッズ売り場で人形を買い与えられたら、この作品に対しての適齢期の女の子*1たちにとって最高に素敵な思い出になるだろうと言えないか? どうしてそこまで仕上げてくれなかったのか?…と言うのが映画全体に対する不満の1つになっている。
 買い与えられたグッズに結びついて映画の記憶もよみがえり易いだろうと思う。また人形と言うアイテムは、年長になっても手放さずに大事にしていたりし易いアイテムだと思う。今回は歴代シリーズお話の中でも特に重い(プリキュアになっても解決出来ない)テーマを取り扱っているから、年長になって作品を思い出す機会を増やす商品を売ることは、今日の商業的理由にも見合うし・将来の商業的理由にも見合うし(数年後にも映像媒体が売れる)、商業と切り離した意味での作品の価値をも高める。
 プリキュアと言うビッグタイトルに関わったのなら、流石に関わった全員がとは言えないだろうけれども、責任ある地位で関わった人々には、個人的に組織的にリスクをとってでも、今回で言えばドール王国のキャラクター人形を商品化して全国の映画館に供する程度のところまでキッチリ仕上げて欲しい…と希望する。

閑話休題

 この映画の商品展開について、もう1つ不満があった。ふなっしー応援隊長とプリキュアのコラボグッズが1つも用意されていなかったことだ。キチョーの行った映画館ではプリキュアの映画グッズに並べて・ふなっしーのグッズも何種も用意してくれていたが、それは残念ながら「ふなっしー応援隊長」のグッズではない。それでも初日にはふなっしーのグッズを1つ買ったけれども、映画グッズではない…と言う意味で不満は残っていた。
 そして昨日の映画館で、映画プリキュアふなっしーグッズを自力で用意出来ることに気がついた。

 本当はこっちの話題だけ書く予定が、本題の前にずいぶん長々と書いた。

*1:キチョーの言葉でガチファンの子